雄別炭鉱の歴史
​釧路阿寒自転車道をたどって

執筆者:釧路臨港鉄道の会 会長  星 匠 さん

1960年生まれ、釧路市育ち。日本国有鉄道や旅行代理店を経て釧路新聞にて報道記者に(現在は代表取締役社長)。2003年7月より釧路臨港鉄道の会を立ち上げ、地域の鉄道文化を伝えている。

 釧路市昭和と阿寒町中央公園まで約26キロの釧路阿寒自転車道線「湿原の夢ロード」は、雄別鉄道跡を利用している。同鉄道は、阿寒町の雄別炭砿から石炭を釧路港まで運ぶため1923年に開業したが、閉山により1970年に廃止された。

 自転車道にある北斗、山花、桜田などの休憩ポイントは駅のあった場所。桜の季節、祖母に連れられ同鉄道で山花や桜田に行った。小学校低学年の時だが、今でも印象に残っている。それが鉄道ファンになったきっかけかもしれない。

雄別鉄道で使用されていたC11-65形蒸気機関車。(写真提供:星匠氏)

現在は阿寒町の炭砿と鉄道館〈ラリースポット37番〉に展示されている。

 太平洋戦争中、同鉄道の列車が米軍機の攻撃を受け死傷者が出た。その列車をけん引していたのは1001という蒸気機関車だった。その20年後、黒色の1001は、全身白い塗装に変更され、高度経済成長の象徴だった白い電化製品のコマーシャルに登場した。

 閉山により阿寒町雄別地域から続々と人が去った。同鉄道はヤマを下りて新天地へ向かう人たちの輸送を最後まで全うして見送った。

 日本の社会や経済に翻弄された同鉄道を引き継いだのが自転車道。自然に恵まれたコースを自転車でゆっくりとたどりながら、鉄道の歴史にも触れてほしい。

白い電化製品のコマーシャルに登場した1001形蒸気機関車。(写真提供:星匠氏)